昭和28年
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5月 |
太平洋戦争後の昭和20年11月、占領軍によって禁止されてきた薙刀の今後について話し合いを行い薙刀連盟の組織化に向けて委員会を設ける。 |
昭和29年 |
4月 |
中止されてきた学校における「武道薙刀」を「スポーツ薙刀」として復活させるべく、指導教材作成委員会をつくって研究協議を始める。 |
昭和30年 |
2月 |
全日本剣道連盟より独立して、全日本薙刀連盟結成に動く。 |
5月 |
全日本薙刀(なぎなた)連盟が発足し、山内禎子元侯爵夫人が初代会長となる。 |
昭和31年 |
4月 |
第1回全日本薙刀選手権大会を開催する。
(昭和33年の第3回大会まで全日本剣道連盟の主催で実施) |
昭和32年 |
5月 |
称号段級審議審査規定に基づき、称号審議審査会を設ける。 |
昭和33年 |
10月 |
文部省に「学校ナギナタ」の教材決定申請の過程で「なぎなた」とひらがな表示の指導を受ける。 |
12月 |
文部省の後援を得て、34年にかけてなぎなた指導者講習会を行う。 |
昭和34年 |
5月 |
第4回全日本なぎなた選手権大会を全日本なぎなた連盟主催にて実施する。 |
12月 |
文部省より各都道府県教育委員会、各都道府県知事等宛の文体体第226号「学校におけるなぎなたの実施について」の通達により、中学校以上の実施可能な学校において女子のクラブ活動として行うことが適当と認められる。 |
昭和35年 |
4月 |
山内会長が勇退し、小西静子が会長となる。 |
5月 |
本連盟が主催して、なぎなた審判講習会を始める。第5回全日本なぎなた選手権大会に併せて、第1回都道府県対抗なぎなた大会を開催する。(昭和62年まで併催継続) |
7月 |
文部省との共催で第1回なぎなた指導者講習会を開催する。(昭和37年の第3回より東西2会場となり、昭和56年まで継続)この年、なぎなた指導手引書を発行する |
昭和37年 |
6月 |
称号段位審議審査規定を一部改正し、十段位までの制度を設ける。 |
8月 |
第1回全国学生生徒なぎなた大会<高校の部、大学の部>を開催する。(昭和42年より全日本大学高校なぎなた選手権大会と改称)また、学校なぎなたの正しい普及をめざして第1回全国学生なぎなた講習会を実施する。 |
昭和39年 |
5月 |
本連盟発足10周年記念式典を挙げる。 |
昭和41年 |
2月 |
文部省より各都道府県教育委員会、各都道府県知事等宛の文体体第79号「高等学校における弓道、レスリング、なぎなた等の普及の実施について」の通達により、指導者や施設等が整っている場合は、クラブ活動として実施することが望ましいとされた。 |
昭和42年 |
3月 |
文部省より前年の通達に次ぐ文体体第120号の通達により、高等学校において適当な指導者がいる場合は、体育の時間になぎなたの指導ができること、この場合施設設備を整備することも明示される。 |
昭和43年 |
4月 |
委体第26号により財団法人全日本なぎなた連盟の設立について文部大臣の許可を受ける。新連盟は旧連盟を引き継ぎ、寄附行為に基づいて小西静子が初代理事長に選出される。 |
5月 |
本連盟編著「写真と図解による新しいなぎなた」を発行する。 |
8月 |
第7回全日本大学なぎなた選手権大会(平成4年の第31回より全日本学生なぎなた選手権大会と改称)と第7回全国高等学校なぎなた選手権大会とに分離開催する。 |
昭和44年 |
4月 |
この年より、なぎなた審判研究会を始める。 |
昭和46年 |
7月 |
第1回なぎなた演技大会<一般・大学の部、高校の部、中・小学校の部>を開催する。(一般の部は昭和49年5月より都道府県対抗なぎなた大会の演技種目に、大学及び高校の部は昭和48年8月より全日本大学選手権大会及び全国高等学校なぎなた選手権大会の演技種目に、小・中学生の部は昭和53年8月より全日本少年武道練成大会の演技種目として実施) |
昭和48年 |
4月 |
称号段級審議審査規定の一部改正により、6段以上の段位を廃止する。 |
5月 |
アメリカなぎなた連盟が準加盟し、なぎなたの国際化が軌道に乗る。 |
昭和50年 |
8月 |
連盟創立20周年行事を行い、第20回全日本なぎなた選手権大会ほか各大会を記念大会として一挙開催する。このとき、昭和47年9月以降、形作成委員会で研究してきた「全日本なぎなた連盟の形」5本を発表する。 |
昭和51年 |
2月 |
武道親善使節団としてニースカーニバルに参加、なぎなたが最優秀賞を受ける。 |
昭和52年 |
1月 |
本連盟の機関誌「なぎなた」を創刊する。(昭和52~54年は年2回発行、昭和55年以降は年4回発行) |
5月 |
「全日本なぎなたの形」7本が完成する。(平成14年4月「全日本なぎなたの形」に名称変更) |
昭和53年 |
6月 |
財団法人日本体育協会に加盟する。 |
8月 |
財団法人日本武道館と共催して全日本少年武道(なぎなた)錬成大会を開催する。 |
昭和54年 |
4月 |
財団法人日本体育協会公認上級コーチ養成講習会を開催し、以後制度の変更に対応して、各級のコーチについて実施する。 |
昭和55年 |
5月 |
創立25周年記念大会を開催、アメリカチームを招待する。 |
11月 |
財団法人日本体育協会において、第38回国民体育大会(昭和58年群馬県開催)より、なぎなた競技が正式種目として参加することが承認される。 |
昭和56年 |
4月 |
本連盟に公認審判員制度を設け、この年より新制度に基づく審判員養成講習会を実施する。 |
9月 |
「なぎなたの理念」及び「指導方針」を発表する。 |
昭和57年 |
5月 |
第27回全日本なぎなた選手権大会及び第23回都道府県対抗なぎなた大会が、第38回国民体育大会なぎなた競技リハーサル大会として、群馬県にて開催される。 |
8月 |
文部省との共催にて、学校体育なぎなた指導者講習会を東西2会場にて開催する。(平成12年度まで実施) |
9月 |
島根県にて開催されたくにびき国体に、なぎなた競技が公開競技として参加する。 |
昭和58年 |
3月 |
財団法人日本武道館と共催して第1回学生なぎなた指導者研修会を実施する。(平成12年度まで実施) |
10月 |
第38回国民体育大会秋季大会(あかぎ国体)よりなぎなた競技が正式種目として実施される。(少年女子の部、成年女子の部) |
11月 |
財団法人日本武道館と共催して第1回全国なぎなた指導者研修会を実施する。 |
昭和59年 |
5月 |
本連盟の編著により、スポーツⅤコース「なぎなた教室」が出版される。 |
昭和60年 |
5月 |
連盟創立30周年行事を行う。 |
昭和61年 |
3月 |
財団法人全日本なぎなた連盟30年史を作成する。 |
7月 |
文部省教育課程審議会総会において、体育の中の柔道・剣道等の名称が「格技」から「武道」に改めることを議決する。 |
昭和62年 |
4月 |
本連盟著の指導書「イラストなぎなた」を刊行する。 |
昭和63年 |
6月 |
本年から都道府県対抗なぎなた大会(第29回)を全日本なぎなた選手権大会と分離開催することとし、北海道における「はまなす国体リハーサル大会」として実施する。 |
8月 |
全日本学生なぎなた連盟を発足させる。 |
12月 |
第33回全日本なぎなた選手権大会を日本武道館にて開催する。 |
平成元年 |
3月 |
文部省の学習指導要領が改訂され、平成5年4月から「なぎなた」が「武道」として選択履修できることとなる。 |
平成2年 |
12月 |
国際なぎなた連盟が発足する。(日本ほか7か国が加盟)併せて国際なぎなた連盟結成記念大会を開催、11か国が参加する。 |
平成3年 |
9月 |
小西静子理事長が逝去し、河盛敬子が第2代理事長に選出される。 |
平成4年 |
7月 |
新学習指導要領に基づき、財団法人日本武道館と協同して「なぎなた指導の手引」を発行する。 |
11月 |
全国高等学校体育連盟への加盟が承認され、なぎなた専門部が発足する。 |
平成5年 |
5月 |
全国高校体育連盟において、平成9年度全国高校総体(インターハイ)へのなぎなた競技参加が決定する。 |
7月 |
ジュニアオリンピックカップ第1回全国中学生なぎなた大会を開催する。 |
10月 |
第6回全国健康福祉祭(ねんりんピック)に、なぎなた競技がオープン参加する。 |
平成6年 |
4月 |
第1回全日本なぎなた連盟の形研修会を開催する。(平成13年からは対象を教士・錬士から四・五段に拡げる。) |
6月 |
第1回男子なぎなた研修会を実施し、男子の強化普及をめざす。 |
平成7年 |
3月 |
皇后盃が全日本なぎなた選手権大会に下賜され、宮内庁において受領する。 |
5月 |
第36回都道府県対抗なぎなた大会において、各都道府県を代表する男子個人試合競技を実施する。(平成12年まで) |
7月 |
国際なぎなた連盟との共催で、東京都において第1回国際なぎなた選手権大会を行い、加盟8か国が参加する。日本チームは、試合競技団体の部優勝、試合競技個人の部男・女、演技競技とも上位を独占し、総合優勝する。 |
9月 |
第1回中堅指導者養成中央講習会を開催する。(平成12年まで実施) |
12月 |
連盟創立40周年記念行事を実施、皇后盃第40回全日本なぎなた選手権大会と大会名を改める。 |
平成8年 |
3月 |
財団法人全日本なぎなた連盟創立40周年記念誌を作成する。 |
12月 |
皇后盃第41回全日本なぎなた選手権大会(会場:日本武道館)に、皇后陛下のご臨席を賜る。 |
平成9年 |
8月 |
インターハイに正式種目としてなぎなた競技初参加。京都府木津町体育館に皇太子殿下、妃殿下の行啓を賜る。 |
平成10年 |
1月 |
第1回エンジョイなぎなた全国大会を開催し、生涯スポーツとしてのひろがりをめざす。 |
4月 |
理事の原則70歳定年制を実施する。審査員及び公認審判員の資質向上のため、研修義務制度が発足する。 |
平成11年 |
4月 |
第2回世界なぎなた選手権大会がフランス国パリ市にて開催され、今回より設けられた団体の部男・女をはじめ全種目に優勝し、総合優勝を成しとげる。 |
平成13年 |
12月 |
第1回全日本男子なぎなた選手権大会を開催する。 |
平成14年 |
8月 |
財団法人日本武道館と共催して、第1回全国高等学校・中学校なぎなた(部活動)指導者研修会を開催する |
12月 |
河盛敬子理事長が急逝する。 |
平成15年 |
3月 |
鶴岡徳子が第3代理事長に選出される。 |
6月 |
第3回世界なぎなた選手権大会がアメリカ合衆国サンノゼ市で開催される。SARS不安があって日本チームの派遣を取り止め、役員、審判員のみが参加する。 |
平成16年 |
2月 |
財団法人日本体育協会と共催して、公認スポーツ指導者講師競技別全国研修会を実施する。 |
3月 |
文部科学大臣より寄附行為の一部変更が許可され、会長制度が発足する。「全日本なぎなたの形」教習書を作成する。 |
4月 |
新寄付行為に基づき、鶴岡理事長退任の後を受けて、長濱文子が会長に選出される。 |
平成17年 |
12月 |
連盟創立50周年記念行事を実施。皇后盃第50回全日本なぎなた選手権大会(会場:日本武道館)に天皇陛下、皇后陛下のご臨席を賜る。 |
平成18年 |
3月 |
財団法人全日本なぎなた連盟50年史を作成する。 |
4月 |
橋本久美子氏が第2代会長に選出される。 |
平成19年 |
4月 |
宮川祥子氏が第3代会長に選出される。 |
9月 |
第4回世界なぎなた選手権大会がベルギー
ブリュッセルにて開催され、日本チームは全種目に優勝し、総合優勝を成し遂げる。 |
平成23年 |
7月 |
第5回世界なぎなた選手権大会が日本
姫路市で開催され、日本チームは全種目に優勝し、
総合優勝を成し遂げる。 |
平成24年 |
4月 |
佐藤浩市氏が第4代会長に選出される。 |
平成25年 |
4月 |
公益財団法人全日本なぎなた連盟となる。 |
平成27年 |
4月 |
ブロックジュニア強化事業を実施。 |
6月 |
第6回世界なぎなた選手権大会がカナダモントリオールにて開催され、日本チームは全種目に優勝し、総合優勝を成し遂げる。 |
7月 |
国際交流事業に講師を派遣する。 |
12月 |
連盟創立60周年記念行事を実施。(会場:名古屋ホテルオークラレストラン) |
平成28年 |
3月 |
公益財団法人全日本なぎなた連盟60年史を作成する。 |
平成29年 |
6月 |
「なぎなた」が舞台化、映画化になる。 |
平成30年 |
3月 |
全日本なぎなた連盟公式PR DVD 完成。 |
6月 |
都道府県対抗なぎなた大会に男子参加が決定する。 |